HOME » 再改名「蒲田村」
[生年月日]
 1962年11月8日
[出身地]
 福岡県福岡市
[学歴]
 福岡大学 卒業
[趣味]
 父親業(2男2女の父)
[好きな作家]
 シドニィ・シェルダン
[経営者として影響を
 受けた人物]
 藤田田、孫正義
[座右の銘]
 人の喜ぶところに栄えあり

日本和装の挑戦 吉田重久
『日本和装の挑戦』
鶴蒔靖夫著
IN通信社発行
>>内容の一部 を見る


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当社では、拠点の統廃合に伴い社員寮を開設しました。今年のテーマは”材”の集中です。一番大きなことは人材の集中です。地方から多くの優秀な人材が集結してくれ、これからが楽しみです。

 

 

 

この社員寮は、大田区蒲田(JR蒲田より徒歩3分)に設置しており、「日本和装シェアーハウス」という名称にしていましたが、入居した社員達の意見もあり、再度「蒲田村」に改名しました。既に、この名前でLINEのグループが出来ていました。

 

 

 

昨夜は、昼過ぎから飲んで食べてと楽しくやりました。

 

 

 

この料理は、仙台から来た社員(小野)が作ってくれた鍋です。

 

東京の社員(兵頭)も参戦、手土産のお酒です。急な誘いにも関わらず駆け付けてくれ嬉しかったです。

 

 

 

この蒲田村は、私の自宅から、徒歩、電車、徒歩のドアtoドアでも25分で到着するほどの距離です。実は、約20年東京で生活をしていますが、自宅から蒲田までの電車は初めて乗りました。家を出る時に家内から、こうして乗るのよ!と初めてのおつかい状態でした。<笑>

 

 

先頭車両で運転手と同じ目線で乗りました。

 

 

買い出しの中に、これだけの薬。もう病気は何でも来いです。

 

 

お酒は、他の役員(菅野常務)が届けてくれていたようで、すべて飲み乾しました。

 

 

 

<着物業界への道>

 

 

はじめは、着物だと思い、久留米絣の開拓に動いたのですが、創業した九州地方には「博多織」があります。その織物工場で工場見学が出来ないか?と動きました。朝倉郡、太宰府、筑紫野市など多くの工場を尋ね、色々と話しをしてやっと開拓が出来ました。

 

 

 

現金じゃないと取引はしない、工場に大勢で来られるのは困る、直販しているのを問屋(卸売業者)に見つかりたくない、こういう多くの制約の中でスタートしたのが「帯セミナー」でした。

 

 

 

当時は、帯だけで売れるのか?と業界の習慣から疑問の声も多く、私は問題ないと判断して取り組みました。おかげさまで、それが大ヒット。いまの当社の基盤と言っても過言ではありません。

 

 

 

しかし、借金はドンドン増え続け、もう動脈に注射針を刺して歩いているような状態でした。資金繰りと言っても、正規の金融機関との取引などは出来ない状態でしたので、サラ金、高利貸し業者通いの毎日でした。

 

 

 

しかし、この博多織のヒットから徐々に血が止まり始めました。当時26歳

 

 

 

















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経緯のご説明



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