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[生年月日]
 1962年11月8日
[出身地]
 福岡県福岡市
[学歴]
 福岡大学 卒業
[趣味]
 父親業(2男2女の父)
[好きな作家]
 シドニィ・シェルダン
[経営者として影響を
 受けた人物]
 藤田田、孫正義
[座右の銘]
 人の喜ぶところに栄えあり

日本和装の挑戦 吉田重久
『日本和装の挑戦』
鶴蒔靖夫著
IN通信社発行
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Mr.フジイの海外奮奮記
サムライスタッフブログ 男きもの専門店SAMURAI
スタッフブログ

博多やきとり〜よかろう門〜 赤坂にある
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2009.12.30 0:26:12 読者の皆さまへ

永利紀美子先生が、27日に1年7ヶ月の海外勤務を終えて無事に帰国されました。

 

 

 

そして、昨日わが家に海外勤務の報告を兼ねてお越しになりました。

 

 

 

ニューヨークでの生活や教室受講者の皆さんとの楽しい思い出などをたくさん聞かせてもらいました。

 

 

 

 

 

”そのご年齢で初めての海外生活、そんなことを指図する社長はどんな人なのか?”と言ってくださった受講者がいらしたそうで、逆にそれが励みになったと話してくれました。

 

 

 

 

とにかく、無事に戻ってくれたことが、私にとって一番のお土産でした。

 

 

 

 

永利先生の奮闘録は、NIHONWASOU USA 藤井社長のブログでご覧いただけます。

 

 

 

 

 

 

さて、今日は散々なことがありました。

 

 

 

 

パンクです。駐車場でバックしていた時にコンクリート製のブロックに乗り上げて、タイヤの側面が破裂し、”シュー”と、一瞬でこんな状態でした。

 

 

 

tip1090292.JPG

JAFに電話して助けてもらいました。このタイヤはもう使えません。

 

 

 

 

息子達と近くの公園まで行った時の出来事でした。息子達もビックリしていたようです。私も始めての経験でした。

 

 

 

 

しかし、これで難を逃れたと思えば安いものです。

 

 

 

 

 

今日からバナーが変わりました。1月1日から新イメージキャラクターに変わります。お楽しみに。

bannar.jpg


2009.12.28 1:27:34 読者の皆さまへ

日曜日、夕方からCM撮影現場へ行きました。

 

 

 

毎回思いますが、CMの撮影は大変な作業です。代理店、製作会社、総動員でした。

 

 

cm1p1090273.jpg

手前洋服姿左の女性は、私の娘=次女 です。

 

 

cm2p1090284.jpg

ブリリアンツ=修了生  の皆さまと記念撮影

 

 

 

今回もCM撮影には、ブリリアンツの皆さんが出演協力をしてくれました。

 

 

 

 

このブリリアンツイの皆さまは、本来VIP待遇でおもてなしをしなければいけませんが、撮影現場では撮影最優先になります。

 

 

 

 

毎回、本当に申し訳ないと思っています。

 

 

 

ご協力、ありがとうございました。

 

 

 

 

1月12日よりオンエアー予定です。お楽しみに。

 

 

 

 

また”最近、ブログが長い・・・”というご意見を頂きました。今後は少しやり方を考えていきます。m(__)m


2009.12.25 1:58:24 読者の皆さまへ

血液検査の結果、数値が回復していることが分かりました。

 

 

10月末に原因が分かり、約2ヵ月間で正常値に戻りました。逆戻りしないように注意して様子を見たいと思っています。

 

 

 

今日はクリスマス、末っ子はまだサンタの存在を信じていますので、そのプレゼントを用意したいと思っています。

 

 

 

その欲しいものは、どこに売っているの?サンタに伝えなきゃ・・・こんな会話、何人にしただろう。

 

 

 

 

お父さん、サンタさんは、プレゼントを取りにトイざラスに行くんだね~ と真剣に言っている息子には、本当のことは言えません。

 

 

 

 

あそこを倉庫にしてるんだよ~  赤面しそうな嘘です。<笑>

 

 

 

 

明日は、インターネットで送って来る。こんな嘘も時代ですね~


療養を始めて23日で丸2ヶ月、この間にやり残していたことを少しずつやっています。

 

 

 

その1つが、船の給油です。じつは、免税券の期限が切れていましたので、燃料が入れられずに放置していましたが、やっと届きましたので、午後から行って来ました。

 

 

 

 

長い間船を放置していましたので、ロープが絞まっていて外れずプロに依頼しました。

 

 

hup1090265.JPG

 

 

この会社の社員の皆さん、驚くほど感じの良い人たちです。船の管理は、ここに任せるのが一番良いと思います。この会社のHPは、 ここ  からどうぞ。

 

 

 

 

そのスタッフの一人から、「オーナーブログ見ていますよ~」 と言われ、いよいよ止められないと思いました。

 

 

 

 

”自分も子供がいますので、ブログ参考になります・・・”と言われ、わが家の長男のことだな、恥ずかしいな~と思いながら、笑いでごまかしておきました。

 

 

 

 

 

ご心配をお掛けしております問題の長男ですが、少し勉強を始めました。

 

 

 

 

 

「俺も学生時代はやっていない、しかし、今がお前の1つの岐路だと思う。選択肢が少なくなるから勉強しろ」

 

 

 

この言葉に少し反応したようです。

 

 

 

 

しかし、あの男は優しいので、病気の父親が言っているので・・・と思いやりの心でやっていると思います。

 

 

 

 

人生の岐路  パート 17

 

 

 

丸の内に移転し、その一年後、私は、勝負に出ました。少し大袈裟ですが、私なりに勝負のつもりで、翌年の1月から京都へ行きました。

 

 

 

 

 

京都へ行くのが、そんなに大変なのか?と思われるでしょうが、この業界を制すためには、仕立てを追及しなければいけない、その為に自社縫製工場を作ろうと考えたのです。それが、日本和裁技術院 の発足でした。

 

 

 

 

 

いや、いや、これも大変でした。

 

 

 

 

仕立ては、すべて下請け工場へ依頼していましたので、それをやることについては、相当の反対意見もありました。

 

 

 

 

素人に分かるはずがない、そんな無茶な、色々なご意見を頂きましたが、これを通らずして日本和装はない。この位の思いで京都へ行きました。

 

 

 

 

 

素人がやるのだから、通う程度では成功はない。毎日品物と向き合ってから始まる・・・こういう思いでした。

 

 

 

 

和裁士募集、こんな広告で反応があると思っていたところ、全くという程のものでした。本当に散々な結果でした。

 

 

 

 

そこで、和裁の先生達にお願いしながら、今のスタックが集まり始めました。

 

 

 

 

私は、その技術が分からないので、毎朝、毎朝、施設と周囲の道の掃除をやっていました。

 

 

 

 

事故がないように、綺麗な縫製が出来るように、そんな思いでした。

 

 

 

 

 

その約2年後、今の 「糸の匠センター」 の開設に辿り着いたのです。

 

 

 

 

縫製基準を作り、その技術を磨く、この目的で作った 日本和裁技術院 は、技術者や業界の皆さんからのご協力を頂いて、今の姿にまで成長することが出来ました。

 

 

 

この勝負は、私の人生の岐路の大きな1つでした。

 

 

 

 

次号は、株式上場へ向かって舵をきった、という場面に入りたいと思います。


歯の治療の帰り道に、近くの電気店へ行きました。最近、2駅以上離れない癖がついたようです。

 

 

 

その電気店で驚いたことがありました。プリンターの価格です。なんとエプソンで 7,900円 です。私の感覚では、安くても 19,000円 でしたので、この価格には驚きました。

 

 

 

 

デフレの時代といわれますが、それを自分で確認して驚いたことの1つでした。時々、電気店などにも行って確認しながら感覚を変えないといけないですね~

 

 

 

ちなみに、65型のテレビは、私の感覚では 90万円 でしたが、実際は、55万円でした。

 

 

 

 

人生の岐路  パート 16

 

 

 

もう39歳まで綴らせていただきました。あと約8年で現時点になります。

 

 

 

この人生の岐路は、あまり人気のないシリーズだったかも知れませんが、時系列にしたので、一旦始めると止められないものでした。

 

 

 

このシリーズは最後まで行きます。

 

 

 

 

国税局は、色々とありましたが、私は後に尾を引くのが嫌いですので、その納税を終わらせて終了となりました。

 

 

 

 

ピンチの後にはチャンスあり、こう考えるのは私の癖です。

 

 

 

 

翌年、いきなり本拠地を移転する!と幹部達へ伝えました。国税局が終わったばかりなのに、えっ~! という声もありましたが、そう内部に移転を通達しました。

 

 

 

 

 

幹部には、丸の内 で探すように指示しました。「丸の内の10丁目でも結構だ、丸の内の地名にしたい」こう伝えました。

 

 

 

 

その後で、”社長、丸の内は3丁目までしかないんです・・・”という説明は受けましたが、とにかく探すんだ!と檄を飛ばしたことを覚えています。

 

 

 

 

 

そして、2001年(平成13年)の暮れの今頃だったと思いますが、今の本社所在地を見て、年明け早々に移転したのが、今の所在地です。

 

 

 

 

千代田区丸の内1-2-1 皇居和田蔵門の前、こういうイメージを優先したのが本音です。

 

 

 

ちなみに、皆さんに本社の住所を伝えると、”あ~あの新丸ビルの裏ね・・・”といわれるのです。

 

 

 

皇居が表ですので、私どもの入居しているビルの裏に新丸ビルがあるんです。<笑>

 

 

 

 

丸の内への移転は、大きな岐路の1つだったと思います。 


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